かろを今日もとても愛しています
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だって実際もし、”俺の影響”の場合、俺も悪い、ようはかろが「加害者」であるなら、俺はその「かろと同じサイドに立てる」じゃん?
俺はそれはすごく嬉しいよ。何よりうれしい。かろの心に俺がいて、同じ方向を見れることが、「何よりうれしい」
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ほんとそれはロールモデルになるし、仕事も良くなると思う。
何より、俺に対して「傷つけた」って考えれるわけだから、完全に自立でスッキリする(かろが)って思うの。
そして、俺の幸福は、かろがそういうんだったら、かろと同化できる。
俺の話、俺とかろの話がある場合、俺は必ず(名実ともに
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かろならできる。
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今までかろを止めてきたブレーキをすべてなくすことができる。何故なら、「俺にも加害した」ってかろが思えばそれはもうかろの1人としての自立だから、もう誰にも頼らなくていい。
完全にかろ個人として、俺と対等に”幸せになれる”ことを意味するじゃん?
具体的にはだって、かろが俺に行けないのは、それら芸能とか社会に何もしてないから、だろ?
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この俺の最先端のアイデア「かろの加害者コンセプト」は、俺に対する加害者って角度でも可能じゃん?
つまり、かろが俺を傷つけたってことすら、「クリア」できる。ここが大きい。
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3,あとどうしても、かろも(かろもこのまま俺に行ってはまずいって)ブレーキがかかってる
俺もな、かろのことを考えると「同じにになってしまう」んじゃないかって「懸念を払拭」できる。
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想定されるデメリットに関しては、もともとそのかろのゴシップは可能性が低い。つまり訴状を用意するのが大変だから、(根拠がない)からな。
だから、「可能性は極めて低い」ことと、
(これはメリットにもなる)けどさ、
かろが加害者だと認めることで、<俺は完全にかろと一心同体に>なれる。やっとかろの重荷を俺も受けるってこと。3,